Share

「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました
「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました
Author: 常陸之介寛浩

第1話 役立たずの通訳は、雪原へ捨てられた

last update publish date: 2026-08-30 10:22:18

第1話 役立たずの通訳は、雪原へ捨てられた

「異世界人、如月遥人。王国軍監察官の権限により、貴様を勇者一行から除名し、国境砦から即刻追放する。罪状は古代条約の故意による誤訳、竜帝国との和平交渉の妨害、ならびに勇者の名誉を傷つける虚偽の申告だ」

 王国軍監察官グレイヴ侯爵が読み上げた宣告は、窓の外で吹き荒れる風よりも冷たく、砦の会議室に集められた者たちの顔から、わずかに残っていた人間らしい表情まで奪っていった。

 横長の机を挟んだ向こう側には、俺とともにこの世界へ召喚された勇者の神崎怜央が座り、その隣では聖女セナ・アルベルトが両手を固く組んでいる。壁際には騎士や神官が並んでいたが、俺と視線を合わせようとする者は一人もいなかった。

 つい半日前まで、俺は彼らの仲間だった。

 食料の配分について兵站部と揉めたときには、夜が明けるまで帳簿を確認した。魔物の群れが街道を塞いだときには、命懸けで相手の言葉を聞き、争わずに道を開けてもらった。古代遺跡では罠に刻まれた文字を読み、怜央が英雄らしく先頭を歩けるよう、彼の足が床へ触れるより先に危険を伝えてきた。

 それでも、戦うことのできない俺は、最初から勇者一行の正式な仲間として数えられていなかったのかもしれない。

「確認させてください。俺が古代条約を故意に誤訳したという証拠は、どこにあるんですか」

 椅子に座ることさえ許されていなかった俺は、立ったままグレイヴ侯爵へ尋ねた。

 侯爵は机上の羊皮紙へ目を落としたが、それは文章を確認するためではなく、俺の顔を見ずに済む場所を探しただけなのだろう。彼は太い指で紙の端を押さえ、最初から用意していた答えを口にした。

「王国に仕える三名の古代語学者が、貴様の翻訳には重大な誤りがあると証言している。竜族が国境を越え、人間の村を襲ったという記録を否定し、逆に我が国が先に侵略したかのような解釈を示したそうだな。和平交渉の場でそのような妄言を口にすれば、王国の威信を損ない、兵士たちの犠牲を侮辱することになる」

「その三人は、石板のどの行を読んだんですか。条約の冒頭すら解読できず、俺の控えを覗こうとしていた人たちですよね。俺が読み上げた箇所には、始原暦八百十二年、人間王国が北の境界標を三里越えて砦を築いたと明記されていました。しかも、竜族が撤去を要求した記録まで残っていた。都合が悪いからといって、石に刻まれた文章まで書き換えるつもりですか」

 グレイヴ侯爵の頬が引きつった。

 この場で真実を確かめようとする者はいない。誰もが、何が書かれていたかを知っているからこそ、俺を追い出そうとしている。

「貴様には反省というものがないらしい。剣も振るえず、魔法も使えず、勇者一行の荷物に紛れてここまで来ただけの人間が、王国の歴史を否定するなど、身の程を知らぬにも限度がある」

「荷物に紛れていた人間に、交渉記録も、補給品の確認も、遺跡の解読も任せていたのは、どこの誰ですか」

「遥人、もうやめろ」

 それまで黙っていた怜央が、低い声で俺の言葉を遮った。以前ならば、人の話を途中で止めた後には申し訳なさそうな顔をしていた男だが、今は勇者らしい銀色の鎧を着込み、疲れを押し隠すように眉間へ皺を寄せている。

「ここで侯爵と言い争っても、何も変わらない。おまえが納得できないのは分かるが、今は人間と竜族が戦争になるかどうかの瀬戸際なんだ。個人の正しさにこだわって、王国全体を危険にさらすわけにはいかない」

「個人の正しさにこだわっているんじゃない。どちらが先に条約を破ったのかという話をしているんだ。そこを嘘で塗り固めたまま和平交渉を続ければ、いずれ必ず破綻する。怜央、おまえだって、俺が石板を読んでいるところを隣で見ていただろう」

「俺に古代語は読めない。だから、おまえの翻訳が正しいかどうかを判断することもできない」

 怜央は迷いを振り払うように言い切ったが、その右手は机の下で強く握られていた。本人は隠しているつもりなのだろうが、二年も一緒に旅をしていれば、その程度の癖には気づく。

「判断できないのなら、どうして俺の翻訳が間違っていると決めつけられるんだ」

「三人の専門家が誤訳だと証言しているからだ。それに、遥人、おまえは最近、俺たちに相談せず魔物と話をつけたり、遺跡の進路を勝手に変えたりしていただろう。結果として無事だったから問題にされなかっただけで、一歩間違えれば全員が死んでいたかもしれない。戦闘のできないおまえを守りながら進むのは、俺たちにとっても負担だったんだ」

「魔物と話をつけなければ、あの森で二百匹を相手に戦うことになっていた。遺跡の進路を変えなければ、おまえは呪いの祭壇へ聖剣を突き立てていた。あのとき、おまえは俺の判断に従って助かったはずだ」

「だからといって、これからも同じようにうまくいく保証はないだろう。俺は勇者として、全員の命を預かっている。おまえ一人を特別扱いし続けることはできない」

 何を言われても我慢できるつもりだったが、その言葉だけは胸の奥に重く沈んだ。

 特別扱いを受けていた記憶など、俺には一度もない。戦闘が終われば負傷者と魔獣の声を交互に聞き、夜になれば古文書と報告書を渡され、眠る時間を削って解読した。それでも、翌朝に少しでも出発が遅れれば、非戦闘員は気楽でよいと兵士たちに笑われた。

 怜央自身が同じように笑ったことはない。しかし、止めてくれたこともなかった。

「特別扱い、か。便利な言葉だな。働かせるときは仲間だから当然で、俺が説明を求めたときだけ特別扱いになるのか」

「そうやって、すぐに話をややこしくするところも変わっていない。俺はおまえを敵にしたいわけじゃないんだ。王都へ戻れば、通訳として別の仕事を紹介することだってできる。今ここで罪を認め、古代条約の翻訳を訂正すると約束すれば、侯爵も追放までは求めないはずだ」

 怜央は自分なりに俺を助けようとしているのだろう。そのつもりでなければ、こんなに苦しそうな顔はしない。

 だからこそ、腹が立った。

「つまり、おまえが差し出しているのは救いじゃない。王国に都合のよい嘘をつき、今までどおり誰かの影に隠れて働く権利だ。そんなものを受け取ったら、俺はこの先、自分が読んだ言葉を一度も信じられなくなる」

「死ぬよりはましだろう。この砦の外がどんな場所か、おまえだって知っているはずだ」

「知っているから言っているんだ。脅されて翻訳を変えた人間の言葉を、今後誰が信じる。おまえが勇者であるために自分の剣を捨てられないのと同じで、俺にだって捨てられないものくらいある」

 怜央は何かを言い返しかけたが、結局、固く唇を閉じた。

 グレイヴ侯爵は俺たちのやり取りに飽きたらしく、椅子の背へ深く体を預けた。

「話は終わりだ。罪を認める意思がない以上、如月遥人を勇者一行から除名し、王国が与えた装備、金銭、身分証明書をすべて没収する。日没までに砦から退去させろ」

「日没までというのは、あまりにも……」

 セナがようやく声を上げた。

 しかし、グレイヴ侯爵に目を向けられた瞬間、彼女の肩が小さく揺れた。

「聖女セナ、貴殿には教会から、この者の能力を監督するよう命令が下されていたはずだ。その責任を問われたいのか」

「それは……違います。遥人は命令に背いたわけではありませんし、これまで私たちを何度も助けてくれました。せめて吹雪が収まるまで、砦の中に置いてあげることくらいはできるはずです」

「罪人へ同情するのは、聖女の慈悲かもしれぬ。しかし、間違った慈悲は多くの民を傷つける。貴殿は王国の聖女なのか、それとも一人の異世界人の友人なのか、よく考えて答えることだ」

 それは質問の形をした脅迫だった。

 セナがここで俺の友人だと答えれば、教会は彼女から聖女の地位を奪うだろう。病気の母親と幼い弟たちが教会の援助を受けて暮らしていることを、俺も知っている。彼女が何を選ぶかは、聞くまでもなかった。

 それでも、ほんの少しだけ期待していた自分が、ひどく惨めに思えた。

「私は……王国の聖女です。でも、遥人が罪人だとは思っていません」

 セナが絞り出した言葉に、グレイヴ侯爵は興味を失ったように鼻を鳴らした。

 誰もが完全な悪人というわけではない。怜央は自分なりに仲間を守ろうとし、セナには家族がいて、グレイヴ侯爵にも王国の体面を守るという役目がある。全員に事情があり、俺一人がその事情の外へ押し出されるだけだ。

 それを理解できてしまうからこそ、誰かを思いきり憎むことさえできなかった。

 俺は腰に下げていた革袋を外し、机の上へ置いた。王国から支給された銀貨と身分証明書、遺跡で使っていた筆記具、簡易結界の護符が入っている。外套まで王国軍の支給品だと言われたが、吹雪の中へ薄着で追い出せば処刑と変わらないとセナが抗議し、古びた黒い外套だけは持っていくことを許された。

「最後に一つだけ、怜央に伝えておく。聖剣の柄に刻まれた三段目の文章は、祝福じゃない。俺が毎月、意味の流れを調整していたから、今までは問題が起きなかった。次の満月までに、信頼できる術師へ見せたほうがいい」

「追放されることが決まってから、今度は聖剣に問題があると言い出すのか。俺を脅しているつもりなら、逆効果だぞ」

「そう受け取るなら、それでもいい。伝えるべきことは伝えた」

 怜央は俺の忠告を信じなかった。だが、それ以上説得する気力は残っていなかった。

 会議室を出ると、二人の兵士が俺を砦の北門まで連行した。廊下ですれ違う者たちは事情を知らないのか、それとも既に罪人として伝えられているのか、誰も声をかけてこない。

 重い扉が開かれた途端、白い粉雪が砦の中へ吹き込み、灯火が激しく揺らいだ。

「待って、遥人」

 背後から走ってきたセナが、息を切らしながら俺の前へ回り込んだ。厚い聖女服の裾には雪がつき、いつも丁寧に整えられている金色の髪も乱れている。彼女は兵士たちを気にしながら、小さな布袋を差し出した。

「厨房でもらってきたパンと干し肉、それから火打ち石が入っているわ。お金は渡せなかったけれど、これなら王国の備品ではなく、私個人のものだから持っていける。お願いだから受け取って。あなたが私を許せないことは分かっているけれど、せめて生き延びてほしいの」

「許すも何も、セナには家族がいるだろう。教会へ逆らえない事情くらい、俺も知っている」

「そんなふうに理解したような言い方をしないで。あなたはいつもそうやって、相手の事情を先に考えて、自分が傷ついていないような顔をするけれど、本当は私のことを軽蔑しているのでしょう。助けてほしいときに助けなかった女だと、そう言って責めてくれたほうが、まだ楽だった」

「俺に責めてもらって、自分が傷ついた側になりたいのか」

 思った以上に冷たい言葉が出た。

 セナの顔が歪み、俺はすぐに後悔したが、一度口にした言葉はなかったことにはできない。

「ごめん。言いすぎた。でも、今の俺に、セナが少し楽になれるような言葉を選ぶ余裕はない。庇えないなら、それでいい。ただ、そんな顔をされると、追放される俺のほうが君を慰めなければならない気分になる」

「それでも、私は何もしなかった。怜央があなたの功績を自分のものとして報告していると知っていたのに、勇者一行が崩れるのが怖くて黙っていた。今回の翻訳だって、あなたが嘘をついていないことくらい分かっていたのに、侯爵へ逆らえなかった」

「なら、今度からは自分で選べばいい。俺に許されたからでも、責められたからでもなく、自分がどういう人間でいたいのかを考えて選んでくれ。俺だって、今回のことを全部忘れて、笑って許せるほど立派な人間じゃない」

 セナは涙をこぼしながら、それでも布袋を下ろさなかった。

 俺は少し迷った末に受け取った。こんな状況で意地を張って食料を捨てるほど、自分の命を軽く扱うつもりはない。

「ありがとう。パンは助かる」

「遥人、必ず生きて。あなたが生きていてくれなかったら、私はこの先、何を選んでも自分を許せなくなる」

「それはずいぶん重い頼みだな。だったら、せめて砦の兵士に、俺の背中を弓で射ないよう伝えておいてくれ。それだけでも、生き残る確率は少し上がる」

 俺が冗談めかして言うと、セナは泣きながら、ほんの少しだけ笑った。

 北門の外には、人間王国と竜帝国を隔てる白灰雪原が広がっていた。日没までにはまだ時間があるはずなのに、厚い雲に覆われた空は既に薄暗く、遠くに見える山々は吹雪の向こうへ霞んでいる。

 門を抜けた俺の背後で、鉄の扉が鈍い音を立てて閉じた。

 二年間、帰る場所だと思おうとしていた王国とのつながりが、その音とともに断ち切られたように感じられた。

 手元に残されたものは、古びた外套、セナから受け取った食料、そして役立たずと呼ばれた「万象通訳」だけだった。剣を奪われたことは、さほど惜しくない。もともとまともに扱えなかったし、魔物が現れれば剣を持っていても結果は変わらない。

 問題は、砦から最寄りの村まで歩いて二日かかることと、その途中に竜族の巡回路があることだった。人間の罪人として追い出され、竜族から見れば敵国の人間である俺には、どちらへ向かっても歓迎される理由がない。

「異世界へ召喚された人間の末路が、吹雪の中で凍死か。せめて最後に、もう少し英雄らしい役目を任せてほしかったな」

 誰に聞かせるでもなく呟き、俺は雪を踏みしめた。

 風は次第に強くなり、数歩先さえ見えなくなった。足の感覚が薄れ、息を吸うたびに肺の奥が痛む。それでも立ち止まれば、そのまま二度と動けなくなる気がして、岩壁に沿って進み続けた。

 どれくらい歩いたのか分からなくなった頃、不意に耳の奥で、誰かの声がした。

『来るな……人間……近づけば、殺す……』

 低く、鋭く、怒りに満ちた声だった。

 周囲を見回しても、人影はない。吹雪の向こうにあるのは、雪に埋もれた岩と枯れ木ばかりだった。

 聞き間違いだと思い、再び歩き出そうとした瞬間、先ほどとはまるで違う、震えるような声が重なった。

『怖い……助けて……まだ、死にたくない……』

 俺の技能は、人間の耳に届く音だけを翻訳するものではない。言葉を持たない魔獣の感情や、魔道具に刻まれた命令、呪いに込められた憎悪まで、そこに「伝えようとする意味」が存在すれば声として拾い上げる。

 吹雪をかき分け、声のする方向へ進むと、崩れた岩山の陰に巨大な影が見えた。

 雪原へ横たわっていたのは、月光を閉じ込めたような美しい銀色の鱗を持つ、一頭の竜だった。その四肢と翼には黒い鎖が幾重にも巻きつき、鱗の隙間から流れた青い血が雪を染めている。

 竜は俺を見つけると、苦痛に耐えながら首を持ち上げ、氷のような青銀の瞳で睨みつけた。

『それ以上、近づくな。人間などに、助けられるものか』

 威厳に満ちた拒絶の声とともに、その魂の奥から、消え入りそうな本音が聞こえた。

『お願いだ。怖がらないで。私を、一人にしないでくれ』

 人間に捨てられたばかりの俺は、敵国の竜を助けるため、黒い鎖へ向かって歩き始めた。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました    第26話 婚約を解消すれば、世界は救える

    第26話 婚約を解消すれば、世界は救える俺とリシアの真銀の環から伸びた黒い糸が、フィーネの胸へ突き刺さっていた。フィーネの身体は銀色の光へ変わり始め、足元から少しずつ輪郭を失っていく。肉体が消えているのではない。聖剣から生まれた彼女の存在が、王都地下に眠る始祖竜の心核へ引き戻されようとしている。「お兄ちゃん、痛いよ。身体の中から、フィーネじゃないものに戻されそう」俺へ伸ばされたフィーネの手を掴んだ。しかし、触れた指先まで冷たくなり、半透明に透けている。黒い糸を引き抜こうとすると、その力は俺の左手にある真銀の環へ流れ込み、逆にフィーネを強く引き寄せた。『無駄だよ、如月遥人』閉ざされた扉の奥から、御厨統馬の声が聞こえる。『その少女は、始祖竜の心核から切り離された記憶の器だ。本来あるべき場所へ返しているだけで、私は何も傷つけていない。心臓へ戻れば一つの大きな存在として完成するのだから、喜ぶべきではないか』「本人が嫌がっているのに、一つへ戻すことを完成とは呼ばない」『幼い子供には、自分にとって何が幸福なのか分からない。大人が正しい道へ導く必要がある』「そう言って、何人の名前を奪った?」御厨統馬は答えなかった。言葉を理解する力を持ちながら、相手の言葉を聞くことをやめた男にとって、フィーネの意思など最初から答える価値のないものなのだろう。「遥人、環を切ります」リシアが立ち上がった。先ほどの衝撃で呼吸は乱れ、胸元を押さえる指も震えている。それでも、フィーネを見つめる金色の瞳には迷いがなかった。「私たちの真銀の環が、始祖竜を目覚めさせる鍵になっているのでしょう。ならば、婚約契約を解除し、二人の繋がりを断ちます」「待ってくれ。今切ったら、君の魂まで傷つくかもしれない」「フィーネが消えるのを見ているよりはましです」「どちらかを犠牲にする前提で話すな」「では、ほかに方法があるのですか!」リシアが声を荒らげた。「私だって、

  • 「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました    第25話 四百年前の通訳は、世界を支配した

    第25話 四百年前の通訳は、世界を支配した「御厨統馬。始祖竜の名と言葉を奪い、この世界で最初の聖王となった日本人。それが、神崎怜央の中にいる男の正体だ」カナタが告げた名前は、王国語でも古代竜語でもなかった。聞き慣れた日本語の響きだった。俺や怜央たちより四百年以上も前に、この世界へ召喚された日本人がいた。そいつが人間王国で聖王と呼ばれ、始祖竜の力を奪い、今は怜央の名前と身体を使って蘇ろうとしている。驚くべき話なのに、不思議と納得できる部分もあった。古代王は俺たちが元いた世界の言葉を理解していた。それだけでなく、怜央の記憶を食い始める前から、俺の能力を「意味の継承者」と呼んでいる。この世界にしか生きたことのない人間が、俺の万象通訳について詳しすぎるとは思っていた。「御厨統馬について、ほかに分かることはあるか」「俺に流れ込んだのは、あいつが隠しきれなかった断片だけだ。生まれた時代や年齢までは分からない。ただ、召喚されたとき、あいつは勇者ではなかった」カナタは自分の記憶を探るように目を閉じた。「戦う力を持たず、魔力も少なかった。与えられた能力は、異なる種族の言葉と、魔法に込められた意味を理解すること。王国からは、戦争を止めるための通訳として使われた」リシアが俺を見た。「遥人と同じ能力なのですか」「完全に同じかは分からない。でも、よく似ている。御厨統馬も最初は、人間と竜族が話し合うために召喚された。ところが、言葉を訳しても戦争は終わらなかった」「当然でしょう。言葉が通じたからといって、利害や憎しみまで消えるわけではありません」「そうだ。王国は、自分たちに有利な言葉だけを竜族へ伝えるよう命じた。竜族も、人間が受け入れられない条件を突きつけながら、拒絶された責任を通訳へ押しつけた。統馬は、両方の側から裏切り者と呼ばれたらしい」話を聞くほど、嫌な感覚が胸へ広がった。追放される前の俺も、似た立場にいた。人間王国が先に竜族の領地へ侵入したことを示す条約を訳した結果、都合の悪い真実を知る者として捨てられた。

  • 「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました    第24話 俺を名乗る偽物は、死にたくないと言った

    第24話 俺を名乗る偽物は、死にたくないと言った『本物の私は、ここにいる。そこに隠れている男こそ、私の名を盗んだ偽物です』処刑台の上にいるもう一人の俺が、王都中へ響く声で告げた。広場へ集められた民衆が一斉に周囲を見回し、王国兵たちも武器へ手をかける。偽物の視線は間違いなく俺たちが隠れている建物の陰へ向けられていたが、幸いなことに、群衆からはこちらの姿が見えていないらしい。「ここを離れます。あの者が、私たちの位置を兵士へ伝える前に」リシアが俺の腕を引いた。「待ってくれ。あいつは本当に俺たちを見つけたのか?」「こちらを見て笑ったでしょう。ほかにどう解釈するのですか」「俺たちを見つけたなら、建物の場所を言えばいい。なのに、そこに隠れている男としか言わなかった。あいつは俺の居場所を知っているふりをして、誰かに合図を送ったんじゃないか」「誰かとは?」「たぶん、俺だ」リシアが呆れたように眉を寄せた。「自分を名乗る偽物から、自分へ合図が送られたと言いたいのですか。名前を奪われた影響で、あなたまで話を複雑にする癖が強くなっていませんか?」「俺だって説明しづらいんだよ。ただ、あいつの最後の言葉だけ、王都の命令術式と意味が重なっていなかった」処刑台の偽物が罪を認めていたとき、言葉の裏には民衆へ俺を憎ませる命令が流れていた。反逆者だと信じろ。偽りの名を奪え。その力を勇者へ捧げよ。すべてが古代王の意思によって組み立てられていた。ところが、俺を偽物だと指さした最後の言葉だけは違う。そこに込められていたのは、敵意ではなく、切羽詰まった呼びかけだった。――見つけてくれ。俺がここにいるうちに。「助けを求めているということ?」フィーネが小声で尋ねた。「そう聞こえた。あいつは俺を陥れるために作られた存在だ。でも、作った奴の命令どおりに死にたいとは思っていないのかもしれない」「その願いに応じれば、罠へ踏み込むことになります」リシアの警戒は当然だった。

  • 「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました    第23話 名前を忘れても、俺は彼女を選ぶ

    第23話 名前を忘れても、俺は彼女を選ぶ目の前にいる女性が、俺にとって大切な人だということは分かっていた。雪原で鎖に繋がれていた銀白の竜で、俺を竜帝国へ連れていき、処刑する代わりに偽装婚約を申し出た第三皇女。強くて誇り高く、他人に弱さを見せることを嫌うくせに、誰かが傷つけば自分の痛みまで後回しにする、不器用で面倒な女性だ。彼女と交わした会話も、一緒に食べた料理も、眠れない夜に窓辺で過ごした時間も覚えている。それなのに、名前だけが分からない。「遥人、私の名前を言ってください」彼女は俺の左手を握り、真銀の環へ自分の魔力を流し込んでいる。金色の瞳に浮かんでいるのは怒りではなく、俺が答えられないことをすでに分かっている人間の恐怖だった。「待ってくれ。思い出せそうなんだ。最初の音は……」頭の奥に銀色の光が浮かぶ。あと少しで掴めると思った瞬間、地上から響く大合唱が魔導貨車の天井を震わせた。『如月遥人の名を世界から消せ。その力を、真なる勇者へ返せ』何万もの声が俺の名前を呼び、反逆者、裏切り者、災いの使者という意味を押しつけてくる。そのたびに、銀色の光は指の間から零れる砂のように消えていった。「悪い。どうしても出てこない」「謝らないでください。あなたが悪いわけではありません」彼女はそう答えたが、俺の手を握る力がわずかに弱くなった。『頭では分かっている。遥人は名前を奪われているだけで、私を忘れたいわけではない。それでも、名前を呼んでもらえないことが、こんなに怖いなんて思わなかった。私だけが二人の時間を覚えていて、遥人にとって私は知らない女になってしまったら、私はどうすればいいの……』その声は聞こえている。俺の耳ではなく、魂へ直接触れてくる彼女の本音だけは、名前を失っても消えていない。「あなたの心の声は聞こえる。怖がっていることも、俺に忘れられるのが嫌だと思っていることも分かる」「分かるなら、わざわざ口に出さないでください。私

  • 「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました    第22話 名前を捨てた処刑人たち

    第22話 名前を捨てた処刑人たち坑道の前後に灯った赤い明かりは、松明でも魔導灯でもなかった。暗闇の中を歩いてくる者たちが身につけた、白い仮面の眼窩から漏れている光だった。前方から十二人、後方からも十二人。全員が人間と同じ背丈をしているが、足音は不自然なほど揃っており、鎧の擦れる音まで一つに重なっている。まるで二十四人の兵士ではなく、一匹の巨大な生物が、前後から俺たちを挟み込もうとしているようだった。「王国最強の処刑部隊と言っていましたね。所属と能力を説明しなさい、アルベルト」ガルディア皇帝に命じられ、独房から連れ出されたアルベルトは、壁へ背を預けたまま処刑人たちを見つめた。「彼らに正式な部隊名はない。王国では無銘衛士と呼ばれていた。死刑囚、戦争捕虜、王家に逆らった神官や魔術師から、戦闘能力の高い者だけを選び、名前と過去を奪って作られた部隊だ」「あなたが作ったのですか」リシアの問いに、アルベルトはすぐ答えなかった。その沈黙だけで十分だった。「人間王国と最初に接触した頃、私は彼らの術式へ竜族の命令魔法を組み込む方法を教えた。戦争を長引かせている強硬派を排除するため、汚れ仕事を引き受ける兵が必要だと考えたからだ」「国を救うためなら、名前を奪った人間を道具にしてもよいと考えたのですね」「そうだ。そのときの私は、正しい犠牲だと思っていた」アルベルトは言い訳をしなかった。かといって、罪を認めたから許されるわけでもない。自分の過ちを正直に語る姿には、反省よりも、自分にはもう死ぬ以外に責任の取り方がないという諦めが滲んでいた。前方の処刑人たちが、同時に武器を抜いた。剣、槍、弓、鎖鎌。それぞれ異なる武器を持っているのに、構えるまでの動きには一切のずれがない。後方の十二人も無言で散開し、逃げ道を塞ぐ。「呼びかければ、名前を取り戻せるの?」フィーネが黄金の鐘の欠片を握りしめた。「無理だよ。この人たちの中から、名前が聞こえてこない」俺は処刑人たちへ意識を向けた。

  • 「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました    第21話 皇帝を乗せた魔導貨車が、正面から突っ込んできた

    第21話 皇帝を乗せた魔導貨車が、正面から突っ込んできた対向貨車の認証に使われている真名は、ガルディア・ヴァルドレイク。竜帝国皇帝であり、リシアの母親の名前だった。「認証名が使われているだけで、母上が乗っているとは限りません。皇族の真名を盗み、魔導具を動かす鍵として利用する術式があることは、ここまでの出来事で分かっています」リシアは冷静に言ったが、その手は俺の肩を強く掴んでいた。平静を装おうとしているのは、誰の目にも明らかだった。何より、俺には彼女の魂語が聞こえてしまう。『母上が乗っている。理由は分からないけれど、間違いない。これほど近くにいるのに、どうして竜血の気配を感じなかったの。兄上は、母上に何をしたの……』「フィーネ。向こうの貨車に乗っている竜が、ガルディア皇帝かどうか分かるか?」「名前までは分からないけど、お姉ちゃんとよく似た音がするよ。でも、お姉ちゃんより低くて、ずっと我慢してる音。大きな鎖が心臓に巻きついて、力を少しずつ吸ってるみたい」フィーネは耳を澄ませるように目を閉じたが、すぐにつらそうな顔で胸を押さえた。「向こうの竜、眠ってないよ。起きてるのに、動けないふりをしてる。それから、こっちの貨車が近づいてることも知ってるよ」「母上と話す方法はないの?」リシアがロランへ詰め寄ると、彼は運転台の認証板を確かめながら首を振った。「対向貨車との通信回線は閉じられています。こちらの制動術式も受けつけません。速度はさらに上がっており、このまま進めば、およそ四半刻後に合流地点で衝突します」「四半刻とは、どのくらいだ?」「正確な砂時計がありませんので断言できませんが、人間の会話で百を十回数えるほどです」十五分前後と考えてよさそうだ。その短い時間で、こちらの貨車を止め、対向貨車から皇帝を救い出さなければならない。失敗すれば、狭い地下坑道で二台の鉄の箱が正面から衝突する。俺は運転台の認証板へ手を置いた。古い魔導貨車に刻まれた命令は、ベルガ砦

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status